FC2ブログ
吉祥寺探訪ガイド キッタンといっしょ
吉祥寺コンシェルジュキャラクター「キッタン」が吉祥寺のいろいろな場所・イベントをご案内!  【キッタンテイ】では、吉祥寺の謎を随時募集中!
201807<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201809
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
武蔵野市史へのいざない ~資料空白の時代~
kittan note  blgo

前回は縄文時代のお話デシタので、
今回は弥生時代以降が良いナァ、と思っていたのデス。
・・・が、『武蔵野市史*』によりマスと、
市内には弥生時代の遺物は発掘されていないそうなのデス!
市の周辺地域にも、弥生時代後期のものがちょっとあるくらいで、
この辺は、稲作スルには適地ではなかったとのことデスよ。



デハデハ次の古墳時代ハ・・・?と言いマスと、
こちらも、御殿山より出土されたらしい土師器が1点あるのみデス。
古墳時代と言ったら「古墳」がナクッチャ!と
キッタン思ったのデスが、
・・・・無かったデス。
1つ、現在の武蔵野市立井之頭小学校校庭あたりに
「大塚古墳」と呼ばれていたものがあったのデスが、
結局これも調査によって、古墳ではないことが判明シマシタ。
チナミニこの大塚は、
昭和36年に井之頭小学校の校庭を拡張する時に崩されてイマス。

また、周辺地域にも古墳と思われるものは無いんだそうデス。
古墳時代の文化の中心は、多摩川沿岸と大宮付近で、
この辺りは有力な支配者や豪族がいなかったとのことデス。

ウウッ、だから市内に古墳が無いのデスね。
寂しいデス。
キッタン、古墳とか塚とか目で見て分かりやすいのが好きなのデスが・・・



デハ更にモウ一歩時代を下って、奈良・平安時代は!?と言いマスと
これが1つ、奈良時代末~平安時代(8世紀後半以降)のものと考えられる
「蕨手刀」なるものが武蔵野八幡宮より出土しているのデス。

ちなみにこの蕨手刀は、昭和3年の武蔵野八幡宮拝殿建立時に出土シマシタ。
おそらく墳墓から出土したと思われるのデスが、
こちらのきちんとした発掘調査は、
神威に触れるとのことで、できていないとのことデス。

そしてこの蕨手刀デスが、タイプが東北型なので
この時代に、この地域が東北地域と交流があったのかどうか
という疑問が出てくるのデス。

そこで、ここに道が通っていたか?ということに話は繋がりマス。
道が通っていたら、東北地域との交流の可能性もあるからデス!
当時の史料より、8世紀中ごろに、
現在の杉並区天沼に道の駅があったのではないか?という説がありマス。
もし杉並区天沼に駅があったとしたら
古代の国府(現:府中市)に通じるまっすぐな道は、
天沼-武蔵野国府の途中で、吉祥寺付近を通過することにナリマス。

アラ。
デハこの辺りは、道が通っていて東北との交流もあったのカシラン
と思うのデスが、
それにしては、当時この地に集落・墳墓等があったと示す資料が無いのが
疑問となるそうなのデスね~。
・・・ヤレヤレ難しいデス。


結局、この弥生時代から平安時代にかけては、
市内ではほとんど資料が出土していないのデスね。



キッタン、残念ダナァと思ってイマシタラ、
ナント『武蔵野市史』発行より33年の歳月が経った2003年、
吉祥寺南町3丁目遺跡C地点より
市内では初の弥生時代から古墳時代の遺物と、
平安時代の遺構が出土したのデス!!
オオッ!!

実は今回は、ここからの
吉祥寺南町3丁目遺跡(C地点)の紹介がメインの予定だったのデスが
・・・キッタン、もう無理デス。
しゃべり疲れマシタ。

チナミニ、ここまで頑張ってついてきて読んでくださった方、
いらっしゃいますデショウカ?
今回はキッタン
チョット突っ走ってしまった気持ちでいっぱいいっぱいデス!!

ナノデ、吉祥寺南町3丁目遺跡(C地点)については
次回以降にシマスデス。
懲りずにまた読んでクダサイデス!kittan1


『武蔵野市史*』 1970年3月  武蔵野市史編纂委員会  発行:武蔵野市
 ・ちなみにキッタンには、前回に引き続き『武蔵野市史』が分厚く重かったため 
  『武蔵野市史 原始・古代編 中世編 抜刷』というハンディサイズの方を使ってイマス。 

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
おお!キッタン、勉強家ですね☆
吉祥寺の歴史、意外と
知らないものなので勉強になります☆
2008/08/25(月) 10:15:44 | URL | グータイムゆうこ #-[ 編集]
グータイムゆうこサン

長い長い文章を読んでクダサッテ
アリガトウゴザイマス!嬉しいデス♪

キッタンも
全然吉祥寺の歴史を知らなかったノデ、
ただ今現在進行形で勉強中デス!
2008/08/25(月) 11:04:28 | URL | キッタン #-[ 編集]
ねえねえ、キッタン教えて
ねえねえ、キッタン教えて
『東京公園文庫シリーズ 井の頭公園』で
都立公園史の専門家、前島康彦先生(国学院出身)が

「蕨手刀」が「武蔵野八幡宮」より出土しているからか
あそこを古墳じゃないかうんぬんの記述があるけど、考古学的には違うってるの?
2008/09/03(水) 08:18:30 | URL | ふるさわ #iJVVSJm2[ 編集]
ふるさわサン

コンニチハ。

キッタンには、む、難しいご質問デスね・・・。
武蔵野市史にも、
蕨手刀が出土したところは、
チャント調査ができてイマセンが、おそらく墳墓だと思いマス。
と書いてアリマス。
シカシ、奈良末から平安時代にかけての墳墓を「古墳」というのかどうかは
キッタンにはワカリマセン!!(汗)
ただ、古墳時代から奈良時代に入る前(7世紀末頃)までの墳墓は
武蔵野市内には無いみたいデスよ。
2008/09/05(金) 15:03:32 | URL | キッタン #-[ 編集]
わっ、ごめんなさーい。
古墳時代の「古墳」じゃなきゃダメですね。
三鷹大沢のは、もっと古いし。

2008/09/07(日) 10:24:39 | URL | ふるさわ #-[ 編集]
ふるさわサン

三鷹には7世紀頃のお墓が残ってイルみたいデスね♪
上の本文で
「周辺地域にも、古墳と思われるものは無いそうデス。」
と書きマシタが、
ふるさわサンが書かれたヨウニ、
三鷹市大沢のあたりの横穴墓群や
また国立天文台の古墳など、
野川流域にはこの時代人が住んでいたみたいデスね!
2008/09/07(日) 11:18:12 | URL | キッタン #-[ 編集]
コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。