吉祥寺探訪ガイド キッタンといっしょ
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むさしの市史へのいざない 〜御殿山遺跡〜
キッタンは最近フト、市内の史跡を巡りたいナァ、という思いに駆られマシタ。
思い立ったらスグ行動!トイウコトで、
『武蔵野市史*』で付け焼刃の勉強をシテ、
まずは、井の頭公園内にある「御殿山遺跡」へ行ってみることにシマシタ。

御殿山遺跡からは、旧石器時代の石器がほんのチョットと
縄文時代の石器・土器・住居跡が出てきているそうデスよ。

ただ、付け焼刃のせいか、キッタンは御殿山遺跡の正確な場所がどうもわからないのデス。
『武蔵野市史』によりマスト、
「御殿山遺跡で発掘された遺跡(住居跡)は、柱穴に木柱をたてて埋め戻し、
そこに石碑を建てた。」
と書いてアリマシタので、キッタンはその木柱と石碑を探しに
井の頭公園へ行きたいと思いマス。

何はともあれ、まずは井の頭池に足が向いちゃいマス。
ikenohata blog
旧石器時代や縄文時代にここに人が生活シテイタのも、
井の頭池の水源があったからなのデスよね。

・・・と思ってイマシタラ、池の端(弁財天のすぐ脇)に看板を発見!
「東京都史跡 井の頭池遺跡群」とアリマス!
看板には、「井の頭池遺跡群は、井の頭池周辺の遺跡群で
井の頭公園内(武蔵野市・三鷹市両市にかかる)の
縄文時代主体の遺跡群(中世の板碑ナドもあるらしいデスが)」とのことデス。
キッタンが目指す武蔵野市の御殿山遺跡も、
この井の頭池遺跡群に入るのデスね。

アッ!しかも看板に
「昭和三十七、八年に現在地の西北約五十メートルの台地上が発掘調査されて
・・・(中略)・・・御殿山遺跡の名前でよばれている」 と書いてアリマス!
この池の端の看板から、西北に50メートルほど行った台地上に
御殿山遺跡があるのデスね。
・・・なんだかオリエンテーリングのようになってきた気がシマス。


トイウコトデ、看板のある池の端から、西北方向の小高い丘に登ってミマスと・・・
kittan genchi blog
更にまた看板を発見!
しかも今度は「昭和三十七、八年に 現在地 の発掘調査が行われ・・・(以下略)」
と書いてアリマシタ!
オオッ!ここがゴールデスよ!御殿山遺跡デスよ!万歳!!
kittan zenkei  blog


・・・アレ。
でも当初目指してイタ、石碑と木柱が無いデスね。
kittan sekihi  blog
と思ったら、チャント石碑はアリマシタ。
先ほどの看板から程近い、
井の頭自然文化園(本園)と井の頭公園を結ぶ歩道橋の近く(吉祥寺駅方向)にアル
茶店の向かいあたりにアリマシタよ。

石碑の文面は、モウ読めなくなってしまってイマシタが、
隣には、石碑の文面を書いた看板が建ってイマス。
それによると、この御殿山遺跡は、
キッタンが付け焼刃で読んだ『武蔵野市史』の編纂事業の一環として
発掘調査がおこなわれたとのことデス。

木柱のほうは・・・結局キッタンは、見つけることが出来ませんデシタ。
もう朽ちてしまったのデショウか。

ここで発掘された建物跡(竪穴式住居跡3つ・敷石住居跡1つ)はどれも縄文時代のもので、
竪穴式住居の1つからは、91個もの打製石斧が出てきたそうデス。
1ヶ所から打製石斧が大量出土するのは珍しいとのことデスが、
何でこんなにたくさん出てきたかは分かっていないそうデスよ。
また、敷石住居跡は現在、「江戸東京たてもの園」に復元され展示してあるそうデス。
・・・良いナァ。江戸東京たてもの園。  ・・・行ってみたいナァ。

以上、御殿山遺跡デシタ。
何はトモアレ、遺跡の場所が無事見つけられて良かったデス♪
みなさんも井の頭公園散策の折には
「御殿山遺跡」を探してみるのも楽しいかと思いマスので、ゼヒ!


『武蔵野市史*』 1970年3月  武蔵野市史編纂委員会  発行:武蔵野市
 ・ちなみにキッタンには、『武蔵野市史』が分厚く重かったため 
  『武蔵野市史 原始・古代編 中世編 抜刷』というハンディサイズの方を使ってイマス。 
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