吉祥寺探訪ガイド キッタンといっしょ
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武蔵野市史へのいざない ~吉祥寺南町三丁目遺跡と三鷹天文台構内古墳~
kittan minami3  blog
今回は、前回キッタンが力尽きて紹介できなカッタ
「吉祥寺南町三丁目遺跡C地点」のお話をシマス♪
(ちなみに上の写真は、キッタンが思う吉祥寺南町三丁目遺跡C地点推定地デス)

こちらの遺跡は、2003年から2004年にかけておこなった
初めての大規模な発掘調査だったそうデスよ。

前回は、弥生時代には市内からの出土品はなく、
古墳時代も、御殿山から土師器1点が出土したのみ。と記載したのデスが、
三丁目遺跡からは、弥生時代~古墳時代にかけての土器片が6点出土シマシタ!
また、奈良~平安時代にかけては、武蔵野八幡宮所蔵の「蕨手刀」のみダッタのが、
平安時代の住居跡が2軒と、墨書土器・土師器・須恵器・瓦などが出土したそうデス。

『武蔵野市史』発行から33年の年月を経て、
武蔵野市内にも弥生~平安時代に人が住んでいたことが分かったのデスね。


また、前回古墳について
「(武蔵野市)周辺地域にも古墳と思われるものは無いんだそうデス」と書いたのデスが、
アリマシタ!古墳!!
三鷹に「天文台構内古墳」という上円下方墳があったのデス。
武蔵野市からは少し飛びマスが、
こちらはその名の通り、
三鷹市にある国立天文台三鷹キャンパス内にある古墳デス。

こちらの古墳は、昭和45年の三鷹市の市史編纂に伴って発掘調査はなされていたのデスが、
新たにおこなった2004年からの調査で、
この古墳が上円下方墳だということがわかったのデス。

この上円下方墳、今のところは全国に4例しかない珍しい古墳で、
そのうちの1つが府中にアリマス。
府中の古墳(武蔵府中熊野神社古墳)は、
府中に国府を置く以前の、この地の勢力を知るうえで重要なものと考えられてイマス。
三鷹の天文台構内古墳は、
この府中の熊野神社古墳と石室の造りも天井石も一緒とのことで、
何らかの関わりがあったのではないかと考えられているそうデスよ。

チナミニ三鷹市では、古墳は天文台構内古墳1つだけデスが、
古墳時代後半から6・7世紀にかけて作られた「横穴墓」は7群確認されているそうデス。
そのうち野川流域の出山横穴墓群は、
付近が「大沢の里」と呼ばれていて、わさび田や湧水があるのだそうデス。
お散歩にはもってこいデスね♪


【オマケ】
キッタン、実はこの前の9月6・7日にアリマシタ
三鷹「天文台構内古墳」の一般公開に行ってきちゃいマシタ!kittan1
kittan zyouenkahouhun  blog
写真は古墳の断面で、
手前から、墓前域-羨道-前室-玄室となってイマス。
たくさんの人が見に来てイマシタよ☆

オマケのオマケ。
kittan tenmondai  blog
こちら第一赤道儀室デス。「天文台」ッていう感じデスね!
このスグ横に上円下方墳はアリマシタ


参考資料
・ 『吉祥寺南町三丁目遺跡C地点 武蔵野市井の頭遺跡群』 2006.6
・ 『「武蔵野の歴史展」~人々の暮らし~』 武蔵野市教育委員会
・ 天文台構内古墳 現地見学資料 三鷹市教育委員会
・ 三鷹市 出山横穴墓群8号墓保存・公開施設利用案内  三鷹市教育委員会
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武蔵野市史へのいざない ~資料空白の時代~
kittan note  blgo

前回は縄文時代のお話デシタので、
今回は弥生時代以降が良いナァ、と思っていたのデス。
・・・が、『武蔵野市史*』によりマスと、
市内には弥生時代の遺物は発掘されていないそうなのデス!
市の周辺地域にも、弥生時代後期のものがちょっとあるくらいで、
この辺は、稲作スルには適地ではなかったとのことデスよ。



デハデハ次の古墳時代ハ・・・?と言いマスと、
こちらも、御殿山より出土されたらしい土師器が1点あるのみデス。
古墳時代と言ったら「古墳」がナクッチャ!と
キッタン思ったのデスが、
・・・・無かったデス。
1つ、現在の武蔵野市立井之頭小学校校庭あたりに
「大塚古墳」と呼ばれていたものがあったのデスが、
結局これも調査によって、古墳ではないことが判明シマシタ。
チナミニこの大塚は、
昭和36年に井之頭小学校の校庭を拡張する時に崩されてイマス。

また、周辺地域にも古墳と思われるものは無いんだそうデス。
古墳時代の文化の中心は、多摩川沿岸と大宮付近で、
この辺りは有力な支配者や豪族がいなかったとのことデス。

ウウッ、だから市内に古墳が無いのデスね。
寂しいデス。
キッタン、古墳とか塚とか目で見て分かりやすいのが好きなのデスが・・・



デハ更にモウ一歩時代を下って、奈良・平安時代は!?と言いマスと
これが1つ、奈良時代末~平安時代(8世紀後半以降)のものと考えられる
「蕨手刀」なるものが武蔵野八幡宮より出土しているのデス。

ちなみにこの蕨手刀は、昭和3年の武蔵野八幡宮拝殿建立時に出土シマシタ。
おそらく墳墓から出土したと思われるのデスが、
こちらのきちんとした発掘調査は、
神威に触れるとのことで、できていないとのことデス。

そしてこの蕨手刀デスが、タイプが東北型なので
この時代に、この地域が東北地域と交流があったのかどうか
という疑問が出てくるのデス。

そこで、ここに道が通っていたか?ということに話は繋がりマス。
道が通っていたら、東北地域との交流の可能性もあるからデス!
当時の史料より、8世紀中ごろに、
現在の杉並区天沼に道の駅があったのではないか?という説がありマス。
もし杉並区天沼に駅があったとしたら
古代の国府(現:府中市)に通じるまっすぐな道は、
天沼-武蔵野国府の途中で、吉祥寺付近を通過することにナリマス。

アラ。
デハこの辺りは、道が通っていて東北との交流もあったのカシラン
と思うのデスが、
それにしては、当時この地に集落・墳墓等があったと示す資料が無いのが
疑問となるそうなのデスね~。
・・・ヤレヤレ難しいデス。


結局、この弥生時代から平安時代にかけては、
市内ではほとんど資料が出土していないのデスね。



キッタン、残念ダナァと思ってイマシタラ、
ナント『武蔵野市史』発行より33年の歳月が経った2003年、
吉祥寺南町3丁目遺跡C地点より
市内では初の弥生時代から古墳時代の遺物と、
平安時代の遺構が出土したのデス!!
オオッ!!

実は今回は、ここからの
吉祥寺南町3丁目遺跡(C地点)の紹介がメインの予定だったのデスが
・・・キッタン、もう無理デス。
しゃべり疲れマシタ。

チナミニ、ここまで頑張ってついてきて読んでくださった方、
いらっしゃいますデショウカ?
今回はキッタン
チョット突っ走ってしまった気持ちでいっぱいいっぱいデス!!

ナノデ、吉祥寺南町3丁目遺跡(C地点)については
次回以降にシマスデス。
懲りずにまた読んでクダサイデス!kittan1


『武蔵野市史*』 1970年3月  武蔵野市史編纂委員会  発行:武蔵野市
 ・ちなみにキッタンには、前回に引き続き『武蔵野市史』が分厚く重かったため 
  『武蔵野市史 原始・古代編 中世編 抜刷』というハンディサイズの方を使ってイマス。 

むさしの市史へのいざない ~御殿山遺跡~
キッタンは最近フト、市内の史跡を巡りたいナァ、という思いに駆られマシタ。
思い立ったらスグ行動!トイウコトで、
『武蔵野市史*』で付け焼刃の勉強をシテ、
まずは、井の頭公園内にある「御殿山遺跡」へ行ってみることにシマシタ。

御殿山遺跡からは、旧石器時代の石器がほんのチョットと
縄文時代の石器・土器・住居跡が出てきているそうデスよ。

ただ、付け焼刃のせいか、キッタンは御殿山遺跡の正確な場所がどうもわからないのデス。
『武蔵野市史』によりマスト、
「御殿山遺跡で発掘された遺跡(住居跡)は、柱穴に木柱をたてて埋め戻し、
そこに石碑を建てた。」
と書いてアリマシタので、キッタンはその木柱と石碑を探しに
井の頭公園へ行きたいと思いマス。

何はともあれ、まずは井の頭池に足が向いちゃいマス。
ikenohata blog
旧石器時代や縄文時代にここに人が生活シテイタのも、
井の頭池の水源があったからなのデスよね。

・・・と思ってイマシタラ、池の端(弁財天のすぐ脇)に看板を発見!
「東京都史跡 井の頭池遺跡群」とアリマス!
看板には、「井の頭池遺跡群は、井の頭池周辺の遺跡群で
井の頭公園内(武蔵野市・三鷹市両市にかかる)の
縄文時代主体の遺跡群(中世の板碑ナドもあるらしいデスが)」とのことデス。
キッタンが目指す武蔵野市の御殿山遺跡も、
この井の頭池遺跡群に入るのデスね。

アッ!しかも看板に
「昭和三十七、八年に現在地の西北約五十メートルの台地上が発掘調査されて
・・・(中略)・・・御殿山遺跡の名前でよばれている」 と書いてアリマス!
この池の端の看板から、西北に50メートルほど行った台地上に
御殿山遺跡があるのデスね。
・・・なんだかオリエンテーリングのようになってきた気がシマス。


トイウコトデ、看板のある池の端から、西北方向の小高い丘に登ってミマスと・・・
kittan genchi blog
更にまた看板を発見!
しかも今度は「昭和三十七、八年に 現在地 の発掘調査が行われ・・・(以下略)」
と書いてアリマシタ!
オオッ!ここがゴールデスよ!御殿山遺跡デスよ!万歳!!
kittan zenkei  blog


・・・アレ。
でも当初目指してイタ、石碑と木柱が無いデスね。
kittan sekihi  blog
と思ったら、チャント石碑はアリマシタ。
先ほどの看板から程近い、
井の頭自然文化園(本園)と井の頭公園を結ぶ歩道橋の近く(吉祥寺駅方向)にアル
茶店の向かいあたりにアリマシタよ。

石碑の文面は、モウ読めなくなってしまってイマシタが、
隣には、石碑の文面を書いた看板が建ってイマス。
それによると、この御殿山遺跡は、
キッタンが付け焼刃で読んだ『武蔵野市史』の編纂事業の一環として
発掘調査がおこなわれたとのことデス。

木柱のほうは・・・結局キッタンは、見つけることが出来ませんデシタ。
もう朽ちてしまったのデショウか。

ここで発掘された建物跡(竪穴式住居跡3つ・敷石住居跡1つ)はどれも縄文時代のもので、
竪穴式住居の1つからは、91個もの打製石斧が出てきたそうデス。
1ヶ所から打製石斧が大量出土するのは珍しいとのことデスが、
何でこんなにたくさん出てきたかは分かっていないそうデスよ。
また、敷石住居跡は現在、「江戸東京たてもの園」に復元され展示してあるそうデス。
・・・良いナァ。江戸東京たてもの園。  ・・・行ってみたいナァ。

以上、御殿山遺跡デシタ。
何はトモアレ、遺跡の場所が無事見つけられて良かったデス♪
みなさんも井の頭公園散策の折には
「御殿山遺跡」を探してみるのも楽しいかと思いマスので、ゼヒ!


『武蔵野市史*』 1970年3月  武蔵野市史編纂委員会  発行:武蔵野市
 ・ちなみにキッタンには、『武蔵野市史』が分厚く重かったため 
  『武蔵野市史 原始・古代編 中世編 抜刷』というハンディサイズの方を使ってイマス。 
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